ニッポンの技は、いとステキ!

第7回 本塩沢

第7回 本塩沢

山田博夫(左)

1953年新潟県塩沢生まれ。大学卒業後、家業の「やまだ織」(大正2年創業)へ。1991年、代表取締役となる。

山田千晴(中)

1959年新潟県小千谷生まれ。幼少時から日本舞踊を通じて着物に親しんできた。現在、「やまだ織」専務取締役。

山田翔(右)

秋田県生まれ。東京で働いたのち、結婚を機に新潟へ。2010年「やまだ織」入社。

繊細な色と模様を生み出した北国の風土

百色の市松模様の本塩沢

ぱっと反物を解くと、品のよいパステルカラーが広がりました。「この本塩沢は、百色の市松模様です。微妙に濃淡をつけて、経糸は4色、緯糸が25色。これを織ると、100の色が生まれるんです」と、本塩沢の織元「やまだ織」の山田博夫さん。

新潟県塩沢地方は、一年の半分を雪に閉ざされます。この地の女性たちが、農閑期、家族のために麻のきものを織り上げたのが、塩沢織物のはじまりと言われています。春を待ち、ひたすら手機に向かい続ける日々、おのずとその技術は高まりました。

絣の技術を絹織物に生かす本塩沢

こうした絣の技術を絹織物に生かしたのが、本塩沢でした。1メートルの絹糸に何千回と撚りをかけ、染め、織り上げたのちに湯に通して生地を縮ませ、細かい「しぼ」をたてる……本塩沢のしゃりしゃりとした肌触りは、凹凸のあるこの「しぼ」が作り出しているのです。

伝統的な塩沢織は日常着でした

「伝統的な塩沢織は日常着でしたから、色も模様も地味でした。けれども、家族を思って作ったからでしょうか、手仕事のこまやかなことといったら……私たちはこの伝統技術を生かしながら、今喜んで袖を通していただけるものを作りたいんです」

明るいパステルカラーを使った塩沢織

明るいパステルカラーを使うのもその思いの表れ。また、雪の結晶をモチーフに1000の模様を組み込んだり、後染めでぼかしを入れたり。「先染めの織物は、想像通りにいくとはかぎらない。だからこそ考え込んでばかりいないで、夢を見ながらも、どんどん手を動かしたい。そのなかでいいものに出合えるんだから」

塩沢織の制作風景

長い純白の季節が終わると、北国は一気に春を迎えます。梅桃桜が咲きそろい、野山はありとあらゆるやわらかな色に包まれます。あの春の百色を、喜びに満ちた空気を織り込むように、機の音が響き、新たな反物が生まれてきます。